「空想的平和」の終焉と新文明への維新
人造モンスターと自然の復讐に抗する「生命防衛国家」の建設
1. 戦後日本を蝕む「他力本願」という病理
戦後日本の混迷の根源は、重大な危機に直面しても「見ない、聴かない、知らない」を貫く「ボケ平和」の常識にある。
-
無責任な方程式: 「反省さえしていれば危機は来ない」という非科学的な妄想が、保守(日米同盟依存)と左翼(憲法九条依存)の両輪で機能不全を引き起こしている。
-
危機の封印: 地震や豪雨などの天災を「偶然の出来事」と処理し、国防を他国に委ねることで、既存の特権層(ポツダム議会屋)は自らの変革を拒絶し続けている。
真の危機管理とは、事後処理ではなく、既存の制度や価値観を「大胆不敵に破壊変革」する覚悟から始まるものである。
2. 国家の第一義的使命と「主権」の再定義
為政者および政府の唯一の仕事は、国家民族の維持発展である。その実現には、以下の二段階の手段を確立せねばならない。
優先度具体的手段・項目
第一義手段環境整備、国民の心身の健康維持、外敵からの防衛
第二義手段衣食住の完備、社会保障(疾病・遺族)、食糧自給、軍備軍需の強化
3. 「見えない侵略者」――自然の反撃と文明の限界
人類同士の軍事衝突という旧来の枠組みを超え、自然界および人為が産み出した「モンスター」による侵略が始まっている。
-
フランケンシュタインの脅威: 核、サリン、そして新型コロナウイルス(COVID-19)。人類が快楽文明のために産み出した人造モンスターと、環境破壊に対する自然の反撃が、人類を絶絶滅の淵へと追い込んでいる。
-
後手対応の限界: 交通網を媒介に国境を突破するウイルスに対し、近代科学ヒューマニズムに基づいた「泥縄式」の対応は既に瓦解している。
これらは単なる「不運な疫病」ではなく、天を恐れぬ人類の驕慢に対する「警告」と解釈すべきである。
4. 日本主導の「新文明闘争」と人類救済
人類が自滅の道から逃れるためには、「近代・西洋・キリスト教」文明の価値観——すなわち人間が自然の上に君臨するという優越思想——を打破しなければならない。
第四の維新:新文明の担い手としての日本
-
自然への拝跪: 人間優越のヒューマニズムに代わり、万物に神性を見出す日本神道を土台とした「自然との共生文明」を世界に提示する。
-
世界史的使命: 皇紀二千六百八十年の歴史を抱く大日本こそが、人類救済の嚆矢となるべきである。他国の風下に立つ現状は、この使命の放棄に他ならない。
-
覚悟の表明: 東京五輪(祭典)という虚飾を返上してでも、ウイルス(侵略者)との闘いに国家を挙げて邁進する姿を全世界に示すべきである。
既存の「ポツダム議会屋」による選挙ゴッコでは、この国難は突破できない。人類絶滅の危機を前にして、日本が先頭に立って「新文明闘争」を展開し、自律・自主の精神に基づいた強力な生命防衛国家を再興すること。これこそが、今を生きる我々に課せられた真の維新である。
非常事態における「無能の体系」と救国維新の断行
――政治主導の本質:私権の停止と国民への殉職に関する考察――
1. コロナ禍という「国家存立」の試験
「支那肺炎(新型コロナウイルス)」の蔓延に対し、安倍政権(当時)が発した非常事態宣言と、それに伴う外出自粛要請は、戦後日本政府の「決断力の欠如」を露呈させる結果となった。
わが同盟が通常通りの街宣活動を継続するのは、単なる無策な蛮行ではない。徹底した防疫措置(衛生管理・消毒)を前提とした上で、「自発・自粛」という名の国民への責任転嫁に明け暮れる無能政府に対し、国民の怒りを代弁し、喝を入れるための「糾弾闘争」である。本論では、危機の最前線に立たぬ「ポツダム議会屋」の限界を暴き、新価値観への変換(維新)を提言する。
2.無責任体制「ポツダム議会屋」の行動分析
現在の政治指導者が、いかにして国家の生存維持という責務を放棄しているか、以下の三点から分析する。
-
「自粛」という名の逃避: 対処法も収束期限も示さず、国民に「嵐が過ぎ去るのを待て」と強いるだけの、決断なき統治手法。
-
複合災害への想像力欠如: ウイルス禍に地震・台風が重なる「多重国難」に対し、外国依存の戦後ボケ平和に安住してきた為政者には、具体的な準備も計画も皆無である事実。
-
特権に安住する公人: 国難を「他人事」として捉え、自らの地位と権益を維持することのみに腐心する国会議員たちの実態。
3.白日の下に晒された「指導者不在」の現実
分析の結果、戦後日本の議会政治は、真の危機を乗り切る能力も意欲も既に失っていることが証明された。
-
「決断」の不在: あらゆる想定演習と不撓不屈の覚悟に基づくはずの「政治的決断」が、単なる「おべんちゃら」や「思いつき」に成り下がっている。
-
生存与奪権の喪失: 主権さえ他国に委ねてきた結果、人的・医療的・食糧的な「鎖国状態」に対応できず、医療崩壊と生活瓦解の寸前にまで追い込まれている。
-
自業自得の終焉: 危機において真っ先に排除されるべき「役立たずの邪魔者」が、為政者の椅子に座り続けているという歪な構造の露呈。
4.救国維新――政治家の「死」と国家の「生」
支那肺炎後の社会において、旧態依然とした価値観の輩は駆逐されるべきである。今こそ、全く斬新な価値観に基づく「維新変革」が断行されねばならない。
政治家のあるべき姿(真の公人像)
-
ノブレス・オブリージュの徹底: 「百年兵を養うは一日これを用いるためのものなり」。国難の今こそ、国会議員はその存在意義を証明すべき時である。
-
私的人権の即刻停止: 議員バッジを付けた瞬間から、自らの生命・財産をすべて国家に預け、二十四時間三百六十五日、全霊を以て職務に邁進せよ。
-
最前線への挺身: 「国民の苦難の最前線に立ち、国民の快楽の最後尾に佇むべし」。与野党を問わず、個人資産を国家に上納して困窮者に配分し、自らも一兵卒として過酷な医療現場に馳せ参じるべきである。
新価値観変換への夜明け
支那肺炎という未曾有の事態は、既存の腐朽したシステムを破壊する契機となる。自らの地位に恋々とせず、祖国国民のために殉じる覚悟なき政治家は一掃されねばならない。この混迷の先にこそ、日本の真の夜明け=救国維新が待っている。
指導者における「予言」の義務と戦後無能体系の超克
――「未曾有」という欺瞞の粉砕と、新文明闘争を率いる煽動運動について――
1. 免罪符としての「未曾有」の正体
大規模災害や疫病が蔓延するたびに、政界・マスコミでは「未曾有の出来事」という表現が乱立する。これは指導者が自らの臆病と無知、そして準備不足を隠蔽するための卑劣な免罪符に他ならない。
阪神淡路・東日本大震災、そして「支那肺炎(新型コロナ)」において、歴代首相が露呈させた「初めてのことだから」という狼狽は、平時の安寧にのみ胡坐をかいてきた戦後指導者の限界を象徴している。本論では、指導者における真の実力とは「危機の端子」を捉える予言的能力にあることを定義し、戦後日本の「植民地指導者」からの脱却を提言する。
2. 後手対応を惹起する「戦後ドクトリン」の解剖
わが国の指導者がなぜ「平時」前提の無策に甘んじ、危機の初動に失敗し続けるのか、その構造を分析する。
-
吉田ドクトリンの負債: 「対米従属・経済優先・国防軽視」という亡国路線により、国家主権の根幹である「危機の想定」を他国(アメリカ)に委ねてきた植民地根性の検証。
-
創造的想像力の欠如: ウィルス禍、大地震、あるいは宇宙からの侵略さえも「当然の想定内」としてシミュレーションすべき指導者の義務が、戦後教育と議会政治によっていかに剥奪されてきたか。
-
同情という侮辱: 指導者が「一生懸命やっている」と大衆から同情される現状は、実力不足を見透かされている証拠であり、指導者としての死を意味する。
3. 指導者の資質――「名手にファインプレーなし」
分析の結果、真の指導者に求められるのは、以下の「予言者的資質」であることが明らかとなった。
-
先手管理の美学: 卓越した内野手が打者の癖を読み、飛球を楽々捕球するように、優れた為政者は危機の気配に過敏反応し、大衆が気づく前に「杞憂」を「対策」へと変換する。
-
常時戦時の原則: 指導者に「平時」はない。就任した瞬間から常時戦時であり、見えない敵に対する「イメージトレーニング」と「机上演習」の質量こそが、断固たる覚悟を建設する。
-
大衆扇動の必要性: 遠大崇高な視界を持つ指導者は、無知無能な大衆の冷笑を恐れず、歴史観に基づいた確信をもって国民を牽引する予言者であり、煽動者でなければならない。
4. 第四の維新と「新文明闘争」への煽動
現今の日本は、忘れた頃に必ず「青天の霹靂」が波状的に襲い来る、世界で最も過酷な環境にある。この環境こそが、本来ならば世界最強の戦時指導者を育成する土壌であるはずだ。
維新変革への指針
-
「未曾有」の追放: 歴史を紐解けば、ペスト、スペイン風邪、安政の大震災など、あらゆる危機は既知の事象である。指導者は「知らない」ことを恥じ、あらゆる事象を想定内に収める「凄まじい創造力」を回復せよ。
-
第四の維新の断行: 既存の「平時」に依存するポツダム価値観を打倒し、常時戦時を生きる新たな指導層による統治体制を構築する。
-
世界的価値観闘争: 西洋近代の「人間優越ヒューマニズム」が限界を迎えた今、自然への拝跪と予言的洞察を重んじる神道日本の新文明を以て、人類を導く煽動運動を展開する。
我々が展開する運動は、単なる政治改革ではない。偉大な予言者たるリーダーが、熱狂的な大衆を率いて世界史を塗り替える「文明の交代」である。戦後七十余年の眠りを覚まし、危機の尻尾を掴み、先手必勝の攻勢的防御によって大日本を再興せよ。
指導者の覚悟と狂信的愛情――国難を突破する超人的リーダーシップ論
1. 「非常事態」を弄ぶ無能の体系
支那肺炎(新型コロナ)の蔓延に対し、政府が繰り返す「意味不明な緊急事態宣言」は、為政者の無知と無責任を露呈させています。本来、非常事態宣言とは、発令者がその最前線に身を置き、国民の苦難を一身に背負う覚悟があって初めて効力を持つものです。 過去の失策を総括せず、課題も示さぬまま「自粛」という名の責任転嫁を繰り返す姿に、国民は辟易しています。専門家の意見に逃げ、産業界との「板挟み」にうろたえる今の政府は、自らの指導能力が欠如していることを自ら証明しているに過ぎません。
2. 専門家を従える「政治の決断」
政治指導者とは、あらゆる細部に精通する必要はありませんが、国家の行く末を明示し、具体的なタイムスケジュールを提示する義務があります。専門家はあくまで補佐的存在であり、彼らに対して目的を明確に示し、出来ぬ理由を出来る策に切り替えさせるのが指導者の役割です。 現今の永田町に蔓延する「対米追従・現状維持」の精神は、日本を不具のまま放置する売国奴の論理です。与野党を問わず、戦後デモクラシーという利敵策動に狂奔する者たちを排し、現法秩序をも停止させるほどの「強力な中央集権体制」と「国家総動員体制」を構築せねば、ウィルスという見えない侵略者を撲滅することなど不可能なのです。
3. 指導者に求められる「超人的」資質
大衆が真に陶酔し、追従するのは、常人には真似のできぬ「超人的」な意志と覚悟です。指導者は「銃を突きつけられても不動」であり、「いつ休んでいるのか分からぬほどタフ」でなければなりません。 記者会見で疲労を滲ませ、「一生懸命やっている」と泣き言を漏らすような者に、誰が命を預けるでしょうか。哀れみや同情を誘うようでは指導者失格です。二十四時間三百六十五日、針の上の筵(むしろ)に座り、命を捧げるべく達観した姿勢。その七転八倒しながら前進する姿にこそ、国民は「勝利への輝き」を見出すのです。
4. 決断の根源たる「狂信的愛情」
なぜ今の指導者の言葉は国民の心に響かないのか。それは、彼らに「国民への底知れぬ愛情」が欠落しているからです。 真の愛情とは、相手に嫌われないように顔色を伺うことではありません。相手を深く愛するがゆえに、時に過酷な是正を要求し、断固たる厳命を下すのです。「間違った判断が損害を与える」と決断を先延ばしにするのは、国民を愛しているからではなく、自らの責任を恐れているに過ぎません。 国の指導者とは、全国民、全国土、全国史を誰よりも愛する存在でなければなりません。一端の領土、一人の同胞が侵害されれば、即座に怒髪天を突いて行動する。その「狂信的愛情」による絶対的な自覚があるからこそ、不服従者に対しても決然とした姿勢を貫けるのです。
5. 結語:勝利への執念と大ロマン
指導者とは、大ロマンを抱き、勝利への執念に燃える猪突邁進の闘争者です。失敗を恐れず、自他を鼓舞し続ける「明るさ」と、国家民族に対する「責任感」がその支柱となります。 戦後という偽りの平和を覆滅し、自らの命を賭して同胞を領導する――この「狂信的愛国心」こそが、混沌とした現代日本を救う唯一の劇薬となります。今こそ、腹を括った真の指導者の登場が待たれているのです。