1.剥がれ落ちた「民主主義」という名の幻想
編集人:3年余りに及んだ民主党政権が幕を閉じました。この新たな年、わが国の政治はどこへ向かうとお考えでしょうか。
委員長: 今回の総選挙は、単なる政権交代ではない。国民が抱く「議会制政党政治」への根源的な疑念と嫌悪が、ついに表面化した前兆と見るべきだ。
民主党の正体は、自民党が握っていた利権を横取りしようとした山師の集団に過ぎなかった。しかし、それに対する自民党の大勝も、選挙制度が生んだ「手品」に過ぎない。
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投票率: 戦後最低の59.32%(前回比10ポイント減)
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支持の実態: 政党別得票率はわずか27.6%。有権者の2割に満たない支持で、8割の議席を独占したのである。
マスコミや議会屋はこれを「民主的な結果」と呼ぶが、笑わせる。少数派が多数派を支配するこの歪な構造こそ、デモクラシーの自己矛盾そのものではないか。若年層を中心とした投票拒否は、この「数字の誤魔化し」に対する義憤の現れである。戦後既成常識が覆される大変革の足音が聞こえてくる。
2.「戦後保守」の正体と米国の呪縛
私は、米国から押し付けられた「アメリカナイズ・デモクラシー」など微塵も信じていない。それは戦勝国が日本を弱体化させるために流し込んだ**「思想的梅毒」**に他ならない。
わが国は戦後、心身ともに米国の植民地として去勢され続けてきた。
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日米安保条約: 憲法を超越する「国内最高法規」として、わが国の自主独立を阻む鉄鎖。
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自虐的平和: 米国の核の傘という庇護を甘受し、自国を自分で守る気概すら失った不具の状態。
ここで問いたい。「戦後保守」を自称する連中は、一体何を「保守」しているのか。米国に屈服し、敗戦状態を維持することを「保守」と呼ぶのなら、それは共産主義者以上の売国奴である。 我々が守るべきは、大東亜戦争の未完の使命――**「自存自衛」と「アジアの解放」**という父祖の英霊に対する誓いであるはずだ。
「対米追従・経済優先・国防無視」を掲げた吉田茂は、自衛の武器すら放擲しようとした売国奴の典型である。その傀儡の系譜が、現在の自民党だ。永田町で繰り返される政権交代劇など、戦後デモクラシーというコップの中の嵐に過ぎない。
3.「公武合体派」を排し、真の維新を断行せよ
「第三極」として注目される日本維新の会なども、結局は「戦後デモクラシー信奉者」という同じ穴の狢である。彼らの改革は、既成体制の枠内での微調整、すなわち**「修正主義」**に過ぎない。
歴史に照らせば、彼らの姿は幕末の「公武合体派」と重なる。
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幕府(中央)の衰退と、諸藩(地方知事)の台頭。
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既成体制を延命させるために、数合わせの妥協を繰り返す姑息な政治。
真の維新を志す「尊皇攘夷派」から見れば、彼らは体制を守ろうとする裏切り者である。事実、公武合体派はかつて激しい憎悪の中で血祭りに上げられた。現在の有権者が維新に投じた一票は、期待ではなく「既成政党への拒絶」が行き着いた消去法の避難所に過ぎない。
救国の英雄に求められる「一人の決断」
「百匹の豚」がいくら群れて議論を重ねたところで、一匹の「飢えた虎」には勝てない。国難の折に、多数決という名の無益な話し合いは百害あって一利なしだ。
いま求められているのは、既存の呪縛を断ち切る身命を賭した決断と行動である。 議会制民主主義というペテンを覆滅し、一人の強力な指導者の下で国政原理を正す。この「常識破り」の先にあるものこそが、わが国の真の独立と飛躍をもたらすのである。