1.デモクラシーという「欺瞞のシステム」
わが国を「資本主義か共産主義か」という二元論で分類すること自体が根本的な誤りである。これらは共に、白人の覇権を維持・発展させるために捏造された外来イデオロギーに過ぎない。
多数決原理の正体:無責任の体系
デモクラシーの根幹とされる「多数決」は、一見合理的だが、実態は「数」を確保するための金、恫喝、密約が横行する手練手管の場である。一度多数派を形成すれば、その地位に安住して責任を回避し、求心力を低下させる。これは「多数の無責任者」による政治であり、国家の指導力を損なうものである。
自由主義の正体:強者の独善
「自由」とは本来、強者が自らの独善を正当化するためのルールであり、弱者の犠牲の上に立脚している。敗戦後、軍事も政治も抑圧された日本に、真の「自由」など存在するはずがない。我々に与えられた「自由」とは、アメリカによる支配を甘受するための「不自由な自由」に他ならない。
2.「赤鬼・青鬼」による世界分割支配
西洋白人社会は、世界を支配するために極めて狡猾な策動を展開してきた。それが資本主義(青鬼)とマルキシズム(赤鬼)による「二分割支配」である。
-
同根のイデオロギー: 資本主義と共産主義は、共にユダヤ的・物質至上主義的な背景を持つ同根の思想である。双方が敵対しているかのように振る舞う「デキレース」を演じることで、世界をどちらかの陣営に組み込み、植民地化してきた。
-
戦勝国特権の維持: 「デモクラシー(資本主義)」も「マルキシズム(共産主義)」も、共に第二次大戦の戦勝国という立場を共有している。彼らは自らの残虐行為を棚に上げ、日本やドイツを「侵略者」として永久に断罪することで、自らの支配の正当性を世界に刻印し続けている。
-
支那(中国)の役割: 白人列強にとって、支那は対日抑制のための「布石」に過ぎない。アジアの真の盟主になり得る日本を封じ込めるため、白人に額ずく支那を第一人者に仕立て上げているのが現状である。
3.戦後価値観という「精神的植民地」からの脱却
戦後65年(執筆当時)を経てもなお、日本は1945年の価値観に縛り付けられている。
吉田ドクトリンという売国策
戦後政治を支配してきた「対米追従・国防軽視・経済優先」の吉田ドクトリンこそ、わが国を永久の敗戦国家に陥れるための売国策動であった。自民党も民主党も、この戦後敗戦価値観の延長線上にあり、外来のデモクラシーを信奉する点では同罪である。
日本独自の「公地公民」の精神
わが国には、平安、鎌倉、江戸と続く、白人イデオロギーとは無縁の悠久たる歴史がある。
-
君民共治: すべての土地と国民は本来、天皇陛下の治める国家のものであるという「公地公民」の理念。
-
有機体としての国家: 国家と国民を分離し、国家を単なる「支配機関」と見る西洋理念に対し、わが国は「国家と国民が一体の有機体」であるという超国家主義的理念を有している。
価値観の変革による「維新」を
現在の経済破綻や社会不安は、わが国が精神的・政治的な植民地状態にあることの明確な証左である。政権交代という「コップの中の争い」を繰り返しても、この自滅への流れは止まらない。
いま求められているのは、既存の価値観の中での交代ではない。白人の侵略ツールである「近代」の幻想と「デモクラシー」という麻薬を駆逐し、わが国本来の姿を取り戻す「価値観変革による第四の維新」である。
議会制民主主義というペテンに引導を渡し、日本独自の使命を自覚した真の独立主権国家を建設する時代が、すぐそこまで来ている。