変化への願望と新文明の領導――
――西洋近代文明の超克と「八紘一宇」による地球的秩序の再編――
1. 四半世紀の継続を支えた「変化力」
わが同盟が結党以来25年、一貫して邁進し得た原動力は、現状に安住しない「成長への渇望」にある。成長とは変化であり、変化とは「現在過去を白紙に戻してでも前進する覚悟」に他ならない。
真の問題解決とは、発生した事象に対処することではなく、将来招来し得る危険を事前に予測し、自ら「問題を積極的に作る(仮説を立てる)」ことで先手解決を図る「予言的統治」である。本論では、この変化への意志を「ロマン」と定義し、西洋近代文明の閉塞を打破する日本本来の精神的使命を論じる。
2. 近代・西洋・キリスト教文明の「閉塞」の解剖
現在、世界を覆っている「自由・民主・平和」という理念がいかに人類を自滅へと導いているか、その矛盾を分析する。
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幻想の理想郷: アメリカ軍政下の「安保体制・核の傘・個人主義」を最高価値と盲信する社会は、これ以上のロマンを拒絶し、疑心暗鬼の修羅場と化している。
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人間中心主義(ヒューマニズム)の傲慢: 1789年フランス革命以来の「人間が自然を破壊・支配してしかるべき」という白人帝国主義的価値観が、地球環境と他民族を蹂躙してきた。
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人工国家の犯罪性: 故郷を捨て、他人の土地を略奪し、現地人を殺戮して成立したアメリカのような「人工国家」の思想は、いまや火星移住という形を変えた「地球放棄・略奪」の延長線上にある。
3. 新文明の核としての「神道精神」と「シャーマニズム」
分析の結果、人類が生き残るための唯一の道は、日本が古来より保持してきた「全地球的文明」への回帰であることが明らかとなった。
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自然への拝跪: 人間は自然の軒下で生かされているという謙虚な神道精神。これは、人類のみならず全地球を対象とした普遍的な生存秩序である。
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八紘一宇の再定義: 白人帝国主義を排除するのではなく、彼らをも「地球の一員」として抱擁し、リーダーとして世界を領導する日本の世界史的使命。
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政治と予言の合一: 過去の課題を解くのは「役人」の仕事であり、未来を予言し、方向性を示すのは「政治(シャーマニズム)」の役割である。
4. 維新は「今」この瞬間の運動である
「維新はいつ行われるのか」という問いは愚問である。維新とは単なる歴史上のイベントではなく、うねりであり、運動そのものである。
志士としての生き様
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心の中の日輪: 吉田松陰や高杉晋作は、明治という時代を物理的に見ることなく斃れた。しかし、彼らの心の中には完成された「維新の日輪」が輝いていた。彼らは自らの夢の中ににっこりと笑って死んでいったのである。
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自己の人生闘争と維新の直結: 維新のただ中にいることを自覚し、自らの人生において問題を探し出し、克服し、驀進する。この個人の「人生の勝利」こそが、社会・時代の維新に直結する。
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不純・不条理の掃討: 閉塞感に悩む時間はない。崇高なロマンを掲げ、現実とのギャップを楽しみながら、不純不条理を蹴散らして隊伍を組み、颯爽と前進せよ。
我々は今、大維新の奔流の中にいる。自己、社会、世界を一本の柱で貫く「超人的価値観」を抱き、明日という未知へ向かって成長し続けなければならない。人生を勝利に向かって闘争し、堂々と生き抜くこと。その意志の集積こそが、世界を救う新文明の夜明けを呼び込むのである。
民族生存の原点と「第四の維新」への決意
――「できない理由」の体系を粉砕し、自立自発の青年民族へ――
1. 生存闘争という生命の原義
この世に生を受けたすべての生物にとって、生き抜くことは冷徹かつ激烈な闘争そのものです。個人の生命も、国家民族という有機体も、その「生への欲望」を失った瞬間に死へと突き進みます。 現在の日本に欠落しているのは、この「生き抜きたい」という根源的な生命力です。明日の食糧さえ約束されぬ極貧国から、繁栄に浸る大国に至るまで、日々の生存闘争に勝利し続けなければ、歴史の砂漠に埋もれることは避けられません。国家の使命とは、この闘争を勝利に導く組織を構築し、国民に不撓不屈の精神を教育することにあるはずです。
2. 戦後デモクラシーという「精神の檻」
戦後七十余年、わが国は「他力本願」という甘い毒に侵されてきました。アメリカの軍政下に安住し、日米安保という他人の力に生存を委ねることで、自ら決断し行動する気概を失ったのです。 この社会を支配しているのは、現状維持を唯一の善とする「ポツダム議会屋」というペテン師たちです。彼らは、多数決原理という名の「数の暴力」で大衆を囲い込み、「できない理由」を滔々と並べ立てては責任を回避し続けています。 領土問題、拉致問題、そして食糧やエネルギーの安保問題。これらに対して「国際世論が……」「紛争回避が……」と言い訳を重ねる姿は、まさに精神を去勢された奴隷の姿に他なりません。
3. 「食糧主権」――生存の第一義安全保障
生存闘争の最も具体的かつ致命的な現場は「食」にあります。古今東西、あらゆる紛争の根源は「パン」の争奪にありました。 現在、わが国の食糧自給率は驚愕すべき低水準にあり、その数値目標さえも達成の確信がないという無責任な状態にあります。第二次世界大戦の戦勝国はすべて自給率100%を超え、敗戦国は30%程度であった事実は何を物語るか。食糧を他国に依存することは、軍事や金融以上に直接的に「命」を人質に取られることを意味します。 カネで食糧が買えるのは平時の幻想に過ぎません。一たび世界の需給が逼迫すれば、他国は自国民を優先し、日本は座して餓死を待つか、狂信的な侵略に訴えるしかなくなります。自主独立の第一歩は、一億国民の胃袋を自らの手で守る「国家食糧省」の創設と、食糧主権の奪還から始まらねばなりません。
4. 変化力:古くて新しい「遷宮」の精神
日本民族は、本来「変化力」に長けた偉大な民族でした。伊勢神宮の式年遷宮が示す通り、わが伝統の本質は「遥かに古く、かつ常に新しい」ことにあります。自力自発によって絶えず刷新し続けることで、民族は常に「若々しい青年」であり続けられるのです。 しかし、現在の「自由・民主・平和」という外来の価値観は、この民族の成長回路を永久凍結させようとしています。現状を否定し、変革を志す者を「異端」として排除する魔女狩り社会。この「できない理由」の集中砲火を浴びせる腐敗した構造を、今こそ内側から打ち破らなければなりません。
5. 志士の覚悟と「第四の維新」
維新とは、歴史の一点で行われるイベントではなく、絶え間なき「運動」そのものです。吉田松陰や高杉晋作は、明治の完成を見ることなく散りましたが、彼らの心の中には完成された「維新の日輪」が輝いていました。 真の指導者とは、大衆が感知できぬ危機を事前に予測し、人知れず血を流して予防線を張る「予言者」であるべきです。近代西洋の人間中心主義という限界に直面した今、自然を畏れ、八紘一宇の理想を抱く神道日本こそが、世界を救う新文明のリーダーとして立ち上がるべき時です。
「自己の人生は誰のものでもない、自分で決め、自分で進む」 この強烈な信念を持つ個人の集積こそが、時代の維新を加速させます。臆病風を払い、虚構の平和を覆滅し、自力で食べ、決断し、行動する本来の大日本を再興しようではありませんか。自己の人生闘争の勝利こそが、社会の維新に直結するのです。
維新と新文明の哲理:自己自立から「近代西洋幕府」倒幕へ
1:精神の独立 ―― 孤独な自己契約
わが同盟の提唱する自主独立国家の建設は、単なる制度の変更ではない。それは、国民一人ひとりの内面における「精神の革命」から始まる。
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「自己契約」としての約束: 一般的な約束とは、他者との妥当性や社会的罰則を基準とした「外付けの義務」に過ぎない。しかし、真に自立した人間にとって、約束とは「己の意志との契約」である。相手が忘れようと、社会が反故にしようと、己が一度決めたことを遂行することは、自己存在の証明そのものである。
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「他人依存」という奴隷根性の破却: 戦後デモクラシーは、常に他人の顔色を伺い、多数派の中に逃げ込む「臆病者」を量産してきた。この精神的去勢を打破し、たとえ全地球を敵に回しても「己の真実」を貫くストイックな意志こそが、維新を支える背骨となる。
2:戦後日本を縛る「三重の鎖」
われわれは、日本が本来の気概を取り戻すことを阻む「三重の依存構造」を認識し、これを根絶しなければならない。
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対米依存(軍事・政治の鎖): アメリカの軍政下に安住し、生存の根幹を他国に委ねる奴隷的平和。
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対国連依存(虚構の国際主義): 第二次世界大戦の戦勝国(連合国)が作った秩序を絶対視し、自国の主権を制限する不具の状態。
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近代西洋文明依存(思想・魂の鎖): 「自由・平等・博愛」や「科学万能主義」を人類最高の金字塔と盲信する精神的植民地状態。
3:近代西洋文明の「科学的ペテン」を暴く
西洋近代が世界を支配した最大の武器は「科学」であった。しかし、その正体は極めて独善的な「知の暴力」に過ぎない。
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「科学」という限定的知能: 彼らの言う科学とは、西洋白人のちっぽけな脳髄で理解できる現象のみを「全宇宙の真理」と改竄したものだ。彼らは、自らの知性で測れない「超自然」や「神秘」を「野蛮」として封印した。
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ヒューマニズムの傲慢な方程式: 西洋近代は、**「自然 < 人類 < 西洋白人」**という順列の方程式をでっち上げた。この「人間中心主義」こそが、地球環境を破壊し、他民族を蹂躙し、人類を死滅の淵へ追いやっている元凶である。彼らが「科学」を守ろうとするのは、その欺瞞が暴かれ、利権が瓦解することを恐れているからに他ならない。
4:神道 ―― 世界を救済する「魔術」の復活
マックス・ヴェーバーは近代化を「魔術からの解放」と呼んだが、われわれは今こそ、彼らが恐れたその「魔術」を堂々と駆使しなければならない。
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「山川草木悉皆成仏」の哲理: 万物に神を見出し、人知を超えた神秘にひれ伏す神道精神は、西洋近代が封印した「全地球的秩序」を内包している。
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近代西洋幕府の「大政奉還」目指して: かつて黒船の来航が江戸幕府の終焉を告げたように、今や近代西洋文明そのものが「旧い幕府」と化した。日本は、神道という「真の黒船」を以て、人類の統治権を「人」から「神(自然の神秘)」へと返上する「大政奉還」を世界規模で断行すべきである。
5:第四の維新 ―― その覚悟
維新とは、ある瞬間に達成される事業ではない。それは「今、この瞬間」を戦い抜く運動そのものである。
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心の中の日輪: 吉田松陰や高杉晋作は、物理的な明治の夜明けを見る前に斃れた。しかし、彼らの心の中には完成された「維新の日輪」が輝いていた。われわれもまた、自分自身の人生を切り開き、問題を探し出し、克服し続ける「今」という維新を生きなければならない。
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聖なる煽動: 我々の運動は、偉大な予言者(リーダー)が率いる熱狂的な煽動運動である。デモクラシーの信奉者から拒絶され、憎悪されることこそが、我々の正しさの証明である。
日本民族の使命
日本は二六八六年(皇紀)に及ぶ悠久の歴史を持つ。この「遥かに古く、かつ常に新しい」変化力を武器に、西洋白人帝国主義の化けの皮を剥がし、人類が自然の中で生き延びるための「新文明」を築き上げよ。
日本民族よ、天の啓示を受けた神の民族として覚醒し、神秘世界を土台とする救国の進軍を開始せよ!
偽りの「選挙ごっこ」と戦後デモクラシーの終焉
――「近代西洋幕府」を倒閣し、大いなる民族ロマンを奪還せよ――
1. 「強盗放火魔」が支配する永田町の欺瞞
選挙が近づくたびに繰り返される「現金給付」の大盤振る舞いや、耳ざわりの良い公約合戦。これらは、国民が最もなびきやすい「膏薬」をその場しのぎで貼っているに過ぎません。 自民党も野党も、ひとたび議席を得れば、かつて誓った約束など平然と反故にします。「諸事情でできなかった」という言い訳は天下一品ですが、彼らにとって公約とは、国民を騙して権力を維持するための「撒き餌」でしかないのです。 国民の不安や不満を解消すると嘯く彼らこそ、その不安を放置し、醸成してきた張本人です。それはまさに、強盗放火魔が「防犯と防火に尽力する」と叫んでいるに等しい、醜悪なマッチポンプの光景です。
2. ポツダム議会屋という「巣穴」の根絶
台所に出てきたゴキブリを一匹叩いても根本的な解決にはなりません。無能で無気力な「公職屋」を次々と排出する「腐敗した巣穴」そのものを根絶しなければならないのです。 その巣穴の正体こそ、戦後デモクラシー(ポツダム体制)です。彼らは「自由・民主・平和」を金科玉条としながら、その実態はアメリカ軍政下に従属し、わが国を「永久の敗戦国家」に留め置くための売国奴に他なりません。 CIAが作った自民党、ソ連やコミンテルンの末裔たる野党――永田町を占拠する輩はすべからく外国勢力の傀儡であり、現状維持という「緩やかな死」を国民に強要することで、民族滅亡のカウントダウンを隠蔽しているのです。
3. 「百四十年の常識」を打ち破る非常識の力
政治とは、政党や選挙、議会がなければ成立しないなどという「たかが百四十年前後の常識」に拘泥する必要は微塵もありません。 現在の形式化された議会政治は、手段が目的化し、国家の将来像も民族生存のロードマップも描けない機能不全に陥っています。彼らと心中することは、民族の自殺を意味します。 近代日本最大の汚点である「大正デモクラシー」の末路を思い出してください。原敬に始まり犬養毅に終わった、あの腐敗した「投票箱政治」を理想化し、歪曲してきたのが戦後の偽りの歴史観です。この「近代・西洋・キリスト教」文明に基づく二重の呪縛を脱却し、既存の常識を床板ごと打ち抜く勇気こそが今、求められています。
4. 不安をエネルギーに変える「大いなるロマン」
不安や不満とは、将来の希望が見えないからこそ増幅するものです。 真の指導者の役割は、国民に対し「国家の行き先」と「大いなるロマン」を高く掲げることにあります。具体的かつダイナミックな環境整備を示し、国民を一丸となって前進させる。 古今の偉大な指導者は、敢えて危機の正体を顕在化させ、その打破を命じることで、国民の不安を「怒濤の青年運動」という爆発的なエネルギーへと転換してきました。 賽の河原で石を積むような投票を繰り返しても、何も変わりません。いま必要なのは、現状維持の信奉を強いる既存常識を粉砕し、実力行使をも辞さぬ強烈な政治運動です。
5. 第四の維新による「鉄拳制裁」
我々が目指すのは、些末な政権交代ではなく、国家の魂の入れ替えです。 偽りの平和と自由を謳歌するポツダム議会屋に対し、今こそ「鉄拳制裁」を下すべき時が来ました。 「国益放棄・国史否定・国体破壊」に狂奔する裏切り者たちを排除し、悠久の神道精神を土台とした「第四の維新」を断行せよ。 偉大なる日本が再び世界を領導する日は、すぐそこまで来ています。自らの人生を賭して、この歴史的闘争に立ち上がろうではありませんか!
自己への勝利と共同体の再興:自立した個による「第四の維新」への進軍
1. 運動の門を叩く「自立した意志」
わが同盟の門は、無理に引かれるものでも、甘言や脅しで開かれるものでもありません。私が求めているのは、「右翼ごっこ」の演技をする者ではなく、己の人生と命を賭けて、自らの意志で立ち上がる真の闘士です。 「右翼ならこう振る舞うべきか」といった既成の枠に囚われ、名刺で威嚇したり金品を貪ったりするような卑俗な精神は一切無用です。同志、指導者、運動、そして祖国を信じる。しかし、そのすべての根底にあるべきは「自分自身を信じること」です。己を信じ得ぬ者に、他人や祖国を信じる資格などありません。
2. 「個即全・全即個」の共同体理念
わが運動が目指すのは、国家主義運動を「人格者によるエリートの集団」へと昇華させることです。一人では何もできぬからと群れるような「烏合の衆」は必要ありません。 本来、国家や組織とは生物有機体のようなものです。全体の中に「眼」があり「口」があり「足」がある。各々が己の役割を自覚し、全体に奉仕することで初めて個の存在証明がなされます。 戦後、アメリカは日本を弱体化させるため、この「個と全」を意図的に切り離し、対立させました。その結果、個は全体像を見失い、私利私欲と党利党略に走る「没個性な個人主義」へと成り下がったのです。いま、われわれが取り戻すべきは、真の個人主義こそが真の全体主義であるという「個即全・全即個」の共同体精神に他なりません。
3. 「保守」という名の売国奴を覆滅せよ
現在、愛国者の面をして「保守」を自称する自民党などの既得権益層は、その実態はCIAに作られたアメリカの傀儡に過ぎません。戦後、アメリカに額ずき、植民地状態を維持することに汲々とする彼らは、愛国者ではなく「売国・亡国派」です。 戦前の内田良平らが示したような、真に命を懸けた保守精神はそこにはありません。己の権力と地位を守るために国民から盗み取る売国奴は、もはや血祭りにあげるべき対象です。これら腐敗した権力者による「常識」を、われわれは鉄槌を以て粉砕しなければなりません。
4. 人生の勝利者たれ
政策やスローガンというお題目で人は動きません。人が動くのは、一人の人間が退路を断ち、己の人生に勝利しようと邁進する「背中」を見たときです。 情勢が悪くなれば逃げ出すような、脆弱な人間関係は不要です。誰からも後ろ指をさされぬよう、規律を持ち、胸を張って歩める「人格者」であれ。一人ひとりが自分の人生において勝利を掴むという大前提があってこそ、初めて世の中を変える力が生まれるのです。
5. 新たな常識の創造へ
過去の形骸に囚われる必要はありません。既存の腐敗した常識を打ち破り、あなた自身の誇り高き「常識」を創り上げようではありませんか。 組織に依存するのではなく、組織に奉仕する自立した個として、共に突き進もう。 自分の人生を、自分の手で勝ち取る。その闘争の先にこそ、真に偉大なる祖国の再興が待っています。
自分自身に勝利せよ。 勝利万歳!
昭和20年8月15日。この日は単なる敗戦の記録ではありません。天皇陛下が国民に下された終戦の御詔勅の本義に立ち返り、我々が守るべき「国體(こくたい)」とは何かを真に問い直すべき、覚醒の日であります。
戦後80年を迎えようとする今、我々が直面しているのは、独立とは名ばかりの「精神的植民地」の無惨な姿です。
1. 「国體護持」の欺瞞と売国奴の正体
「国體は守られた」と嘯く連中がいます。しかし、自らを護る気概も能力もなく、米軍政下で下請け工場経済に甘んじ、食糧さえも他国に依存し、伝統文化を自ら歪曲して平然としている永田町やマスコミのどこに「国體」があるのでしょうか。 畏れ多くも天皇皇室さえ政争の具とし、国益を放り出す輩は、占領支配者に魂を売り渡した売国奴に他なりません。彼らこそが、民族の矜持を汚す「国體破壊者」として、真っ先に断罪されるべき存在です。
2. 白人帝国主義の暴虐と「性善説」の破綻
広島・長崎への原爆投下、東京・大阪への大空襲、そしてソ連による火事場泥棒的な侵略。これら非人道的な暴虐を、我々は断じて忘れません。 しかし、千年にわたり世界中で殺戮と略奪を繰り返してきた白人帝国主義者に謝罪を求めるなど、負け犬の遠吠えに過ぎません。彼らにとって世界侵略は誇りであり、黄色い猿と見下す我々の命など歯牙にもかけていないのが現実です。 「話し合えばわかる」という甘い性善説は、この弱肉強食の国際社会では自殺行為です。相手の狡猾な素性を見極め、脇を締めなければ、我々は永遠に彼らのペテンにかけられ続けるのです。
3. ポツダム議会屋という「去勢された害虫」
拉致問題、北方領土、尖閣。わが国の主権が蹂躙されていながら、安全地帯で「遺憾」を繰り返すだけの政治家たち。700人を超える国会議員の中に、自ら島に上陸し、射殺される覚悟で国旗を打ち立てる者が一人でもいたでしょうか。 広島サミットという絶好の機会にさえ、岸田首相は核廃絶の不退転の決意を示すどころか、ウクライナ支援の給仕役に成り下がりました。 彼ら「ポツダム議会屋」の本質は、自分たちの特権と懐を守ることしか頭にない、去勢されたサラリーマンです。選挙というお為ごかしを百万回繰り返しても、この「腐った狢(むじな)」たちが日本を変えることは断じてありません。
4. 実力行使という正当な歴史
かつて、機能不全の投票箱政治に対し、我々の諸先輩方は「外科手術」たる実力行動で応えました。原敬、犬養毅、団琢磨、井上準之助。国を堕落させる政財閥を血の海に沈めたあの激動こそが、美化された大正デモクラシーの裏側にある真実の維新の鼓動です。 我々はその血を受け継ぐ子孫です。「暴力反対」という美名の下で、愛する家族が暴漢に襲われるのを黙って見ているのが「人権」でしょうか。死に物狂いで拳を叩き込む。それが生き物本来の姿であり、独立国家としての最低限の自尊心です。
5. 勝利への誓いこそが真の慰霊
英霊に対する真の慰霊とは、靖国に額ずくことだけではありません。彼らが命を賭して護ろうとしたこの国が、自らの足で立ち、自らの手で食い、自らの力で守る「立派な祖国」になること。それこそが英霊の遺志に応える唯一の道です。
「負けてよかった」という自虐の価値観を焼き尽くせ。 他力本願の甘えを捨て、日本を、そして自分の人生を自分の手に取り戻す。 今こそ「勝利への誓い」を胸に、第四の維新へと突き進もうではありませんか!