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少数こそが圧倒的多数を破壊できる!
​1.運動という名の「有機体」と新陳代謝

わが同盟はまもなく結成17年目を迎える。靖国神社での結党式の熱狂はいまも鮮明であるが、運動とは絶えず成長し続ける「有機体」である。

人体が毎秒数十万、数百万の細胞を入れ替えながら生命を維持するように、運動もまた、時機に応じて最高の人材が入れ替わる「新陳代謝」を繰り返さねばならない。この融通性こそが、逆境に耐え、好機に躍動するための源泉となる。

逆に、サークル活動のごとき組織維持に汲々とし、外面ばかりを繕う輩は、組織の肥大化と引き換えに、運動の独自性と鋭さを「妥協」という名の毒で削ぎ落としてしまう。理想の旗を畳み、相手の言い分を飲み込んだ組織は、やがて自縄自縛に陥り、その存在意義を失うのだ。

2.少数精鋭による「非妥協の一閃」

古今東西、多数派の合議によって真の変革が成し遂げられた例はない。 圧倒的多数派とは、既成価値観への不満を抱きつつも、それを打破する勇気を持たぬ「諦観と無責任の汚濁」に過ぎない。彼らは打算と妥協で築かれた砂上の楼閣である。

  • 歴史の真髄: フランス革命も明治維新も、既成概念に囚われない少数精鋭の「非妥協の一閃」が、どっちつかずの多数派を総崩れにしたことで成就した。

  • 維新の条件: 圧倒的少数こそが多数を粉砕する。これこそが変革の本質である。

 

3.「修正主義」の仮面を剥げ

現在の政界を見渡せば、「維新」を標榜しながらその実は既成概念に浸かりきった「修正主義」が跋扈している。

  • 石原慎太郎氏の限界: 長く既成政治の屋台骨を支えてきた典型的な既存政治家であり、その手法は既成政党との融合を図る枠内での改革に留まっている。

  • 橋下徹氏の矮小: 「維新」の看板を掲げながら、既成政党から小物政治屋をかき集める姑息な数合わせに奔走している。

  • 手垢のついた選考: 改革の審判に、小泉政権の亡国経済を担った竹中平蔵氏らを招くに至っては、もはや「誰が既成で誰が維新か」さえ判別不能な茶番である。

真の維新とは「破壊」を伴うものであり、既成価値観に対する冷徹なまでの非妥協が不可欠である。青年の至純なる気迫、峻厳なる規律、そして滅私奉公の精神こそが、打算にまみれた中途半端な老人政治を無慈悲に粉砕できるのだ。

 

4.主権の死守と「非妥協の信念」

現在の議会制政党は、北方領土、竹島、尖閣といったわが国の主権と領土を守る気概を完全に喪失している。

戦後67年(執筆当時)、彼らが本気で領土奪還に動いた形跡はない。それは彼らが「対米屈服」を国是とした吉田茂以来の戦後価値観、すなわち「妥協の産物」として権力の座にあるからだ。妥協とは「どうでもよい」という無関心に繋がる。

いま、わが国に問われているのは「生き残る意志があるのか」という究極の課題である。 それは消費税や政党の統廃合といった枝葉の問題ではない。 「たとえ戦争に訴えても、主権を断固守護するプライドと非妥協の強烈な信念を保持しているか」 この一点に尽きる。

 

総選挙の先にある道

永田町に巣食う手垢のついた国会議員どもを放逐し、人事を根底から刷新することこそが変革の第一歩である。一度付いた汚れは、政党名を変えたところで落ちることはない。

我々は今一度、歴史から学ばねばならない。権力への道は、必ずしも「総選挙」という枠組みの中にだけあるのではない。大正デモクラシーの末路が何をもたらしたのか、その教訓を胸に、非妥協の闘争を完遂しようではないか。

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