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憲法について

近代憲法の超克
~白人による近代国家・近代憲法に追従する必要なし!~
 
1・国體あっての憲法

憲法の依拠するものは一体何か?」という大命題に突き当たる。
即ち、わが国においては「国體あってこその憲法」であり、その国體が果たして戦後維持されているかを検証し、その阻害要因を覆滅すべく実施断行することが断固不可欠と看破する。
大東亜戦争敗戦史観に毒され、外国軍隊の占領を嬉々として甘受し、自給自足の食糧体制を瓦解させてきた所謂植民地体制を打破粉砕し、わが国の世界史的使命を復活させる真の独立主権国家の建設を大前提とした一環の憲法改正を実施することが、極めて重要である。
対支那朝鮮服従を眼目とする護憲論者の撲滅は云うに及ばず、逆にわが国の自主独立を阻害し対米植民地の促進を目論む憲法改悪論者をも唾棄せねばならないことは言を待たないのである。
更に、強調せねばならぬは、わが国の世界史的使命である新文明闘争を貫徹する為には、近代・西洋・キリスト教文明を超克する新たな価値観が絶対不可欠であると言うことに他ならない。
近代国家として欧米列強に認められるが為、西洋的国家構成要素を具備してきた近代200年。

「西洋的憲法・議会政治」を国家存立の必要条件としてきた価値観こそ、新たな文明にとって覆滅すべき価値観に他ならないのである。
ところが戦後一貫して行われてきたこれらの大命題の棚上げによる憲法論議は、護憲改憲の別なく「憲法の国家民族に対する優越」という憲法至上主義の呪縛にとらわれているのである。まさに西洋・近代・キリスト教に毒された近代国家価値観を信奉するあまり、「憲法なくんば国家足りえず」の呪縛に毒され、無機質な条文・契約条項による、有機体としての国家・民族の拘束がまかり通る白人啓蒙思想がその根底に依拠するのである。
国家・民族が憲法の下に置かれる枝葉末節の価値観こそ、本来訣別すべき戦後価値観に他ありません。


2・憲法の何を変えるのか?

現今喧しい論議の中心は、憲法の形骸的側面であり、憲法の実態的側面を忘却しているといっても過言ではありません。
故に識者が曰く。

第一に「現行の憲法はわが国自身が作ったものではなく、押し付けられた占領憲法である」

第二に「現行憲法は、時代にそぐわなくなってきた」「制定以来一回も憲法を改正してこなかった国は日本以外存在しない」
 

第一の課題は、至極当然であり、国際慣習方法上の「自由な意志なきところ、憲法改正はありえないという原則違反。

実定法上も占領中の憲法改正を禁止したハーグ条約三款四十三条違反を故意に無視している点で、不当であり、押し付け憲法、似非憲法として正統性はないものと考えられる。
しかし、無効ではなく、その法的地位は制定時は占領臨時基本法、講和条約発効以降は将来の自由意志による廃棄を解除条件とした臨時基本法にすぎない。
それゆえ、今日まで憲法として放置し解釈改憲で糊塗してきた歴代政権の惰弱怠惰は何よりも責められるべきで、自由な統治意志の発動として自主憲法が一刻も早く制定されねばならないことは当然である。
他方、「九条があるからわが国が戦後戦争に巻き込まれなかった」とする左翼小頭症候群こそ、馬鹿馬鹿しく論ずるに値しない。
外国軍に占領されていること自体が戦争できる独立国家ではないことの証左であり、主権を行使できぬ米国の属国は、米国の強力核兵器と侵略型軍隊によってその生殺与奪権を握られている事実を認識しているのであろうか?
ところが、憲法を改正しさえすればあたかも全てが解決解消するとでも言わんばかりの論評が60年以上も継続されてきたことも問題視せねばならない。
現在の植民地状態を放置したままの憲法改正とは、畢竟、植民地状態の容認に繋がることを明確に認識しなければならない。
 

第二の課題においては、わが国独自の国家戦略や世界観の推進に基づき法規変更は至極当然であるが、現今わが国に果たして独自の国家戦略や世界観が存在するのか非常に疑問であることから空虚の感を免れない。
更に他国を比較の対象にすること自体がわが国の崇高性と独自性を損なうものであると断じざるを得ない。

 

3・売国奴に法解釈権なし!

現行憲法と称される占領憲法の条文は、まるで古代文字を解読するが如く自分に都合の良いよい解釈合戦が延々と演じられ、特に戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認に関する第九条解釈や、宗教に関する第二十条解釈などはその典型である!
そもそも法の解釈権とは最終的には裁判官ではなく法秩序の最高執行権者たる政治家であるは当然である。
憲法及び法律はわが国「国體・国益・国史」を守護し発展成長させるが為の規範的補助に過ぎないはずである。
ところが戦後、憲法や法律が「国體・国益・国史」に優先する摩訶不思議が生じ、憲法法律教条主義による枝葉末節的解釈が横行することとなった。
裁判では弁護士・検察の個的力量や裁判官の個人的裁量によりバラバラ解釈。
地裁、高裁、最高裁での逆転判決、TV番組における弁護士同士の解釈権の対立などにも現れているように、法解釈まで個人主義が跋扈しているとも言えるのだ。
まさに個人主義の弊害がそこまできているのである!

そもそも、自由主義・平和主義・個人主義に代弁される戦後デモクラシーという代物こそわが国体を破壊せんとする対日奴隷化政策に他ならず、憲法を廃絶したのみか、最も国民に身近な民法を改竄し日本伝来の共同体システムを去勢させてきたことは極めて由々しき事態であるのだ。
故に、このような個人主義による国家堕落を是とする為政者こそ、わが国の自滅を促進させる裏切り者であることを認識せねばならない!
そして個人主義を高唱しているにも拘らず、実は!真の個人的自由も利益をもわが国には存在しておらず、畢竟、集大成であるべき日本国家の自由も利益も存在していないことに国民はもっと驚愕すべきである!
大東亜戦争敗戦後、わが国は一貫して日米安保条約の軍政下に置かれ、真の独立主権国家とは言い難い状態が当たり前となっている。
表面では独立しているが事実上、政治・経済・文化・国防等あらゆる分野が米国の支配下にある段階で、いったいどうして憲法や法律だけが独自路線を歩むことができようか!

 

4・わが国の使命を認識せよ

まさに、憲法・法律は米国の支配下にある!
わが国を奴隷化せんとする米国はわが国に植民地版法規範を繁殖させることは至極当然であり、憲法などは近代国家としての体面を保つが為だけの形骸である!
故に米国の意向に沿う者だけを公的立場に配置し植民地憲法や法規範の番兵にしてきたわけである。そもそも戦後一貫して米国の植民地に本来の憲法などは存在しないことを強烈に認識すべきである!

 米国版憲法を金字塔にする左翼護憲売国奴、憲法改正にしても米国に擦り寄ろうとする守旧派売国奴が混在する中、真の憲法論議は真の独立主権国家の建設にあることを改めて自覚しなければならない!
その為に、戦後日本において憲法に優先する日米安保の破棄を俎上に上げずして何の前進もあり得ないことを強烈に認識しなければならない!
「我々は近代・西洋・キリスト教文明に毒されたあらゆる価値観・法秩序にとってかわり、日本の伝統に基づいた一般法の制定と、法規に対する国體の優先を要求する」というわが同盟二十一ヶ条綱領 第十五条にある条文こそが、わが運動の法秩序に対する基本理念である。
 白人帝国主義の世界近代化の一環に基づく近代国家としての最低要件のひとつである近代憲法を制定した大日本帝国憲法は、当時の歴史的背景からは最良のものであったと確信するが、しかし白人帝国主義打倒を掲げるわが運動では、白人の顔色を窺わねばならぬ白人式憲法すら唾棄すべきものと考えており、ならば、世界に誇る世界最古の憲法たる「聖徳太子十七条憲法」の継続(廃止されていないが為)を高らかに謳うべきではないか!
そして、日本の国号を定めた西暦701年の大宝律令、鎌倉時代の御成敗式目、江戸時代の西暦1615年制定の武家諸法度などをはじめとするわが国伝統の諸法規を踏襲する独自慣習法に基づく法秩序を確立せねばならない。
国體を復権し白人帝国主義打倒・新文明闘争の世界史的使命に邁進するわが国国法は、欧米に説明し理解される必要などせぬ唯我独尊であって当然である。
推古12年(西暦604年)5月に世界最古の憲法である聖徳太子の十七条憲法発布されてから1409年、今こそ白人の猿真似ではない真の憲法制定と、米軍政下からの脱却(日米安保粉砕)を堂々と断行することを認識せなばならない!

法の呪縛と民族の意志:近代憲法を「停止」し、國體を奉戴せよ
1. 「法治」という名の権力行使

現代社会において「法治国家」や「コンプライアンス」という言説が聖域化されていますが、法規の本質とは、時の権力者が自らの意志を確実に実行するための「手段」に過ぎません。 法規を制定し、執行する権限を持つ者が、自らに都合の良い解釈を持ち出すことで、いかなる「悪法」も正義の仮面を被ります。万民が納得する客観的な法など存在せず、実際には検察の手練手管や判事の心理、あるいは過去の判例を模倣する「判例主義」という名の責任回避によって、法の運用は極めて曖昧に、かつ恣意的に行われているのが実態です。

 

2. 「近代憲法」という偏向価値観の超克

リベラル勢力は憲法を「権力を縛る法律」と定義しますが、罰則なき憲法は実質的な強制力を持たない理念法に過ぎません。我々が問うべきは、護憲か改憲かという次元ではなく、「なぜ近代憲法という形式に拘泥せねばならないのか」という根本的な疑問です。 「憲法なくんば国家にあらず」という常識は、近代・西洋・キリスト教文明が、自らの価値観を世界に強要するために作り上げた思い上がった偏向価値観です。彼らはこの「近代国家の条件」を満たさない文明を、時代遅れの害虫として侵略・殺戮してきた「十字軍」の末裔に他なりません。

 

3. 憲法の「無力化」と「事実上の停止」

現在の憲法論議が遅々として進まないのは、護憲・改憲双方ともに、結局は戦後日本の価値観(日米安保・国連中心)を肯定する「同じ穴の狢(むじな)」だからです。彼らは、わが国を未来永劫アメリカの植民地状態に留め置くことを当然とする、國體に対する冒涜に加担しています。 我々は、現行憲法を「粉砕」したり「改正」したりする手間をかける必要すらありません。重要なのは、それを執行する権力者が、現行憲法を事実上の「停止状態」に置き、それに代わる「国家最高布告」を断行・実施することです。法とは実績であり、力をもって執行された事実こそが、新たな正義となるのです。

 

4. 皇紀二六八六年の権威への回帰

わが日本には、一四〇〇年以上前に制定された世界最古の「十七条憲法」という崇高な精神的背骨が存在します。後発の西洋文明がでっち上げた「近代憲法」という二百年程度の形骸に、わが国の存立を承認してもらう道理などどこにもありません。 東洋の盟主たる日本が、なぜアングロサクソンの風下に立たねばならないのか。我々は対日寄生虫国家や欧米諸国に対し、わが民族の意志を弁明する義務など持ち合わせていないのです。

5. 新文明闘争への進軍

西洋近代文明の限界が露呈した今、我々が立ち戻るべきは「國體あっての憲法」という真理です。自然と共生し、万物の神秘を奉戴する神道精神こそが、人類を救う新たな常識となります。 「第四の維新」とは、近代西洋キリスト教文明の呪縛を払拭し、白人帝国主義を打倒して、日本が世界史的使命を果たすための「新文明闘争」に他なりません。憲法という名の檻を突き破り、悠久の国史に基づく強固な民族の意志を、いまこそ世界に指し示すべき時です。

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