国会議員は「国民の下僕」意識持て
議会政治の死滅と、民族自決による「新秩序」の建設
一、ペテン師たちが踊る
「選挙」という名の空虚な晴舞台 北朝鮮の主権侵害、支那による国土簒奪、そして破綻した貿易経済。国難が音を立てて迫る中、この国は未だに「他人任せの平和」という昏睡状態にある。繰り返される総選挙は、ポツダム議会屋が己の身分を維持するためだけの「ペテン祭り」に過ぎない。 野党は「大義なき解散」と喚くが、その無策こそが「一強」を許した元凶である。衣を替え、泥舟から筏へ乗り換えたところで、中身は空疎な小物の集まりだ。投票箱政治とは、過去の公約をリセットし、何食わぬ顔で無責任を継続するための免罪符であることを、我々は銘記せねばならない。
二、与野党「馴れ合い」の共犯関係を粉砕せよ
国会における議決は、反対票を投じた野党もまた等しく責任を負う。プラカードを掲げ、議事堂を取り囲むデモに興じて見せても、結局は議決に従う「お行儀の良さ」で国民を欺く。彼らにとって、国民の生命財産は政争の具に過ぎず、国家の危機は思考の範疇外だ。 「負ければしょうがない」という小児的思考を捨て、結果責任を負えない野党は、与党の補完勢力、すなわち「同じ穴の狢」でしかない。二大政党制という幻想の裏で、党利党略の醜い奪い合いが続いているだけである。
三、戦後価値観という「外来梅毒」の複滅
「戦後は善、戦前は悪」という占領軍の呪縛(戦後デモクラシー)を、与野党揃って信奉していることこそが亡国の根源である。大東亜戦争の意義を歪曲し、偽裁判たる極端軍事裁判を正当化する自虐史観を粉砕せずして、どうして主権国家と言えようか。 アメリカの走狗たる自民党と、支那・朝鮮の第五列たる左派勢力。彼らが演じる「保守・革新」は、共に日本の国体を否定し、歴史を歪曲する点において同根である。いまこそ、占領政策の残滓を断固複滅し、栄光ある国史を再建せねばならない。
四、密室の詭弁を排し、街頭闘争へ決起せよ
育児休暇だの人権だのと、特権に胡座をかく議会屋どもに国家を語る資格はない。歳費を削り、宿舎を廃し、私財をなげうってこそ、初めて「国民の下僕」として祖国再建に挺身できる。 スキャンダルに塗れた無能凡人が跋扈する密室政治に用はない。政治の真髄は、街頭における直接闘争によって敵を粉砕し、民族の意志を貫徹することにある。歴史の転換点は、常に闘争の最前線から生まれることを知れ。
戦後体制の機能不全と、主権国家への回帰――「ポツダム議会政治」の終焉
1. 選挙制度における非連続性と無責任の構造 現在、日本が直面している国防・経済の危機に対し、現行の選挙制度は何ら有効な解答を提示できていない。安倍政権の解散権行使に翻弄され、霧散した野党の姿は、日本の政党政治が「信条」ではなく「生存」のみを目的とした利権集団に変質していることを物語っている。選挙というプロセスが、過去の公約を白紙化し、政治家の無責任を正当化する装置として機能している現状では、何万回投票を繰り返したところで「同質のペテン」が再生産されるだけである。
2. 議会制民主主義における「結果責任」の不在 国会における議決プロセスにおいて、野党の役割は「反対」というパフォーマンスに限定されており、国家の進路に対する真の結果責任から逃避している。本来、政治とは勝負の鉄則に基づくものであり、反対を貫くのであれば、その敗北に対して身を処す潔さが必要である。しかし、現状の野党は与党の補完材として「馴れ合い」の中に安住しており、これは近代政党政治が理想とした「交代可能な二大政党」ではなく、単なる権力争奪のゲームと化している。
3. 「保守・革新」という概念の欺瞞と外国傀儡性 戦後日本における「保守・革新」の対立構造は、本質的に外来思想の枠内での競合に過ぎない。
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保守: アメリカナイズされた自由・民主主義を信奉する対米従属勢力。
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革新: 冷戦期は共産主義、現在は「反戦」を偽装した反日工作勢力。 両派は共に、日本の国体と伝統を否定する「戦後デモクラシー」を前提としており、大東亜戦争を侵略と断罪する自虐史観を共有している。この構造を打破し、戦後三大亡国路線(国体破壊・国史否定・国益放棄)を転換しない限り、真の自主独立は望むべくもない。
4. 結論:特権階級の解体と直接的政治行動への移行 国難に際し、自身の特権や権利を主張する現在の国会議員は、国家の指導者としての資質を欠いている。歳費の徹底した削減と特権の廃止を断行し、国民と苦楽を共にする者だけが政治の場に立つべきである。 間接議会における詭弁や寝技の時代は終わった。政治の真髄が「敵を粉砕し、意志を貫徹する闘争」にある以上、我々が目指すべきは密室の数合わせではなく、民族の意志を直接的に反映させる強力な政治行動の展開である。