生きてる証
人生闘争と民族の生存
わが運動には、基本的にタブーはなし。
よく我々自身の運動が過激だと言われます。本人は決してそうは思っていない。が、言えることは「本気でやろうぜ!」、「自分の言いたいこと、思ってることをやろうぜ。但し、言ったからには、自分で自分のケツは拭こうぜ」。
これさえあれば、自分のやりたいこと、したいことを臆せずできるんじゃありませんか!
別に運動やってるから、隊服着て腕章付けてるから、いい格好しようとしているわけでは断じてないのです。
「ごっこ」をやめろ
私が一番嫌いなのは、「ごっこ」。
例えば先生なら、「先生ごっこ」、親子だったら「親ごっこ、子供ごっこ」をしていないか?
親だから、先生だからこう言わなきゃいけない。親らしく、先生らしくしていなければならない。
冗談じゃ無い!
本当にお前は先生として、親として自覚をもって言動しているのか!
東京都知事選最中ですが、候補者が演説を聞いていると、悪いこと言わないよね。
「この野郎ぶっ殺す」なんて言ったら、落選間違いなしだね。
でも自身、本気で思ってるなら、「言え!」と言いたい!
心にもないことを大ボラ吹くことなら誰でもできる。
「何を言うか」ではなく「誰が言うか」
わが同盟は、政治運動、民族主義運動を実施しているが、その中でも最も力を入れていることはリーダー育成である。
すなわち、「何を言うのか、やるのか」ではなく、「誰が言ってやってるんだ」と言うことに尽きる!
先ずもって、これら社会は、生身の人間が生々しく思考し、ドロドロ蠢動していることを冷静に理解していなければならない!
生身の人間ってのは、「嘘をつきたい、逃げたい」弱い生き物。それをよく分かった上で、
「でも、俺は格好よく生きたい!」
と欲望し、邁進する。
まさに運動含めた人生は、すべてにわたって己を磨くということに尽きるのです。
そこで私がいつも言っているのが、「一人になった時が本当の運動なんだ」。
仲間に囲まれ偉そうな格好したって、一人になったらどうするんだい?
組織や肩書でメンチ切るんじゃないのです。それら一切関係ない一個の「俺」として、闘い、勝負しろ、と言いたい。
その戦場とは、たまに集まる会場でも、抗議場所などでもなく、ほとんどの時間を費やす個々人の日常生活、すなわち個々の職場、家庭、学校なのです!
いつ何時でも二四時間三六五日、勝負しなきゃいけないじゃありませんか!
人前に立って尤もらしいことを述べる前に、まず自分自身が身を置く全ての日常生活戦場において、勝利者にならなければならない!
人生はフィクションである
私は「人生はフィクション」とつねづね公言しています。
すなわち、己の人生は己自身ですばらしい物語に仕立てなくてはならないのです。
自分で演出し、自分で舞台を作り、自分で脚本を書き、そして自分自身が主役の大スペクタクル長編ストーリーを創造するのです。
その為には、主役を盛り立てる優秀な脇役、更にはエキストラさえ大満足できる演出を心掛けるのです。
確かに己が主役でありはするが、それを取り巻くあらゆる登場人物、そして大観客までも陶酔するようなエンターテイメントを作りあげるのです!
少なくとも、己の人生大河ドラマにおいて主役が輝かず、いったい誰が輝くのでありましょうか?
自信とは
今、社会の中において一番求められているのが、「自信」。
よく自信がないなどの弱気な言動をするものが多い。逆に空威張りのような虚勢を張った輩が、やたら「自信ある大人」ぶる傾向がみられる。
では、そもそも「自信」とはいったい何ですか?
えてして、「あいつより俺の方ができる、この中では俺が一番できる。だから自信がある」などと、他人と比較することで己の自信を判断しがち。
あるいは、過去の栄光にすがり、その一筋の残光を頼りに「自信」をつないでいる。
要は、他人や過去などの比較依存によって己を支えるものなのか!
そんなのは自信でも何でもない。
そもそも自信とは、己の絶対的主観で、他人と比較する相対的客体ではないのです。
ただ、自分勝手にやたら「自信」ぶるようなものではない。
自信とは、自分に与えられた全ての環境現実、そして今の己の思考そのものを全て積極的に受け入れる勇気にほかならない!
どうしても、人間とは悪いことがあれば逃げたい、目をつむりたい、避けたいもの。
その弱い自分を十分自覚したうえで、だったら全てに堂々と喜んで受け入れる。更にもっともっと己に降りかかっている現実や、将来でてくる問題や栄光をすべて清濁併せて呑み込むこと。
即ち、できるできないなど、こざかしいことは一切かなぐり捨て、開き直って己の周囲に広がるすべての宇宙を貪欲に取り込む覇気、勇気なのです。
逃げている、隠れているから怖さが増幅され、一つの嘘が新たなウソをつかざるを得ず、嘘の底なし沼に引きずり込まれるもの。
だから、
全て真正面から取り組め!
開き直れ!
間違えたら堂々と謝罪せよ!
引きかえせ!
その覇気と気迫をもってすれば、何がこようが堂々と勝負できるのです!
そして、正面から勝負すれば、問題の真髄を探求できる。
真髄が見えてくれば、これに対する対策を講じることができる。
勿論、現在の己の実力を鑑み、できない場合は、出来る条件を探索し、できる為の新たな課題に向かって闘う方向性が明確となるのだ!
自分自身の人生から逃げられない。己の心に時効はないのです。
この現在の己にしっかりと正面から向き合い、その時の判断、その時の決断を下すのです。
今、己ができる最高の正道を邁進すること。
これこそアドベンチャー人生の生き残るための闘いに他ならないのです。
本能を阻害する理性
各々の民族の究極目的とは一体何か。
己の民族の種を守り、それを健全に成長させる。これが本来の種の使命なのであります。
死に物狂いで民族の生き残りをかけて闘わなければならない!
生あるすべての生き物にとって、この生存闘争は必ず備わっていなければならない本能であり、宿命であるはずなのです。
これは頭で思考するものでも、理屈で納得するものでもない!
生きている証である感情そのものに他ならないのです!
しかしながら、現今社会を鑑みて、果たして自分自身で生きようという意識をもっているのか? 生きている実感を常に感じているのでしょうか?
その典型が十九世紀に世界を侵略した白人帝国主義による「近代・西洋・キリスト教」文明の毒牙に他なりません!
その為、現今世界は、白人優越主義の人間至上主義ヒューマニズムによって、「地球は人間様の快適な物質文明社会の為にある。故に、人類=白人が他の動植物はじめ地球の全自然環境を支配して当然。その生殺与奪は白人の自由自在」がまかり通っているのです。
自然環境の破壊による大洪水、温暖化現象による異常気象などは、至極当然の自業自得に他なりません。
更には、人類同士の縄張り争いの為には、自然界にない原子力、サリンなどを作り、自らの生存依拠する聖地すら破壊喪失しようとする、もはや常軌を喪った人類の妄想暴走が留まるところを知りません。
人類は原点に回帰せよ
これを放置すれば人類滅亡は必至であるにも拘らず、これを止める意欲も手段も見いだせない現代文明社会。
この彷徨える近代文明社会の暴走に待ったをかけ、自然及び人類の共存共栄をはかるため、いまこそ人類発祥の原点に回帰し、「自然の中における人類の存在意義とは何か?」を問い、生き延びる途に導かねばならないのです。
そもそも人類発祥時には世界中どこにでも存在していた原始宗教・原始共同体。
闇を恐れ、人知の及ばぬ大自然の異次元世界に驚愕しひれ伏してきた。
ゆえに自然を神と崇め怖れてきた。まさに人間はその大自然世界において棲わせていただいているという、素直な謙虚な姿があった。
ところが十六世紀以降、西洋に起こったのが、天をも恐れぬルネッサンス啓蒙思想。
「我思う、ゆえに我あり」。唯我独尊の人間至上主義ヒューマニズムによって、無知蒙昧な白人によって自然環境に対して無謀にも自滅の戦いを挑むこととなった。
地球上の表皮でチマチマ蠢動する人類。数十m以下の地底で生活すらできず、はたまた地上数㎞に漂う事しかできぬ人類が、自らを「地球宇宙の王者」とうぬぼれ、環境を奴隷の如く従え、これを破壊することこそ「文明の証」と履き違えてきたのだ。
笑わせるな!
何のことはない!
人類よりもはるかに高次元の大自然がこのまま黙っているはずもなく、のぼせた人間に喝を入れはじめた。
自然によるジャブ程度のパンチすら人間は大慌て!
だが臆病な人類の悲しい性か。
わかってはいても、引き返すことへの羞恥心、またその逃げ道すら考えだす知恵も創造力もなく、ズルズルとヒューマニズム旗にしがみついて、にっちもさっちもいかず袋小路に迷い込んでいるのだ!
ギリシャ哲学に白人の優越存在を依拠してやまない浅はかな白人の産み出した「西洋・近代・キリスト教」文明の限界と大失敗を、いまこそ大変革し、「人類と自然の原点」に白紙回帰し、人類生き残りの光明を見出さねばならない!
まさに、人類危急のいま!
悠久から今にわたり神道を奉戴し続けるわが日本の出番に他ならない!
本来、大自然の懐の中で人類が正しく生存すべき道を示すものこそ、わが神道精神に他ならない!
わが祖国日本の原点、すなわち建国の理念はこの中にあるのです。
まさに、わが日本の世界史的使命とは、
人知のはるかに及ばぬ大自然・大宇宙の神秘を、「神」と恐れ崇め、まっとうに生存できる道を指し示すことであり、為には少なくともそれぞれの民族が自助扶助することで共存共栄すべき指導を担っているのです。
これこそ「八紘一宇」なのです。
わが日本は、大自然大宇宙という神を祀る祭主であり、その神のもとで人類を安寧に生きるべく指導する統治者として、皇統連綿存在されている天皇陛下を奉戴する人類唯一の神の国であることを強烈に自覚し、その責務の重要性を認識せねばならない!
だが現状、わが国の姿を鑑みれば、実に情けないではないか!
敗戦後の日本と「第四の維新」
先述した如く、いまだに敗戦状態を引きづっているわが国の自信喪失の原因こそ、真正面からわが国の置かれた事実に向かい合っていないことにある。
即ち、アメリカを軸とした戦勝国の支配に屈服し、「逃げと嘘」で塗り固められた卑屈な砂上の楼閣をびくびくして維持しているに過ぎない。
わが国の現状とは、第一に「大東亜戦争に敗北した」と言う冷厳な事実。
一度の戦いに敗れただけでもはや戦う気迫も行為もできない状態こそ、異常と言わねばならない!
人生も同様だが、負ければ「次は必ず勝つ!」
その為には敗戦の原因を探求改善し、次の戦闘の準備に取り掛かる。
まさに「叩かれても叩かれても何回でも立ち上がる」不撓不屈の闘魂こそ、本来どの民族も保持する生命力に他ならない!
特に、皇統連綿の偉大な歴史が見護るわが日本民族には、人類救済の世界史的使命を有しており、このような敗戦後遺症ごときで逡巡している暇などないのだ!
わが日本民族は、戦争と共に飛躍成長してきた!
戦闘行為=生存闘争を喪失した敗残兵デモクラシーを打倒し、「七転び八起き」「七生報国」の偉大な戦闘民族日本の再建を急がねばならない!
為に、大化の改新、建武の中興、そして明治維新に続く「第四の維新」を断行し、神道精神に基づく超国家主義政権を樹立。
さらに近代・白人帝国主義打倒!の「新文明闘争」を世界に大号令せねばならない!
まさに生存闘争が去勢された奴隷に成り下がるか、それとも阿修羅の生存闘争に勇気と喜びをもって参戦し、この緊張と感動に震えた鼓動で「生きている証」を胸に輝かせた戦士となるか!
それを決めるのは誰でもない!
貴方である!
偉大民族日本に生を受けた一員して、わが人生闘争勝利への強い意志の先にこそ、民族の栄光が待っていることを、最後に付言しておく。